無駄な時間を過ごさないためにパソコンから離れる方法を考えるためのうんちく

昨日のタイムトラッキング(ManiacTime)の結果
1日あたり3時間以上パソコンから離れることが目標になりました。


今日はそのパソコンから離れることを考えます。

まず、そんなにパソコンの前でなにをやっているのか。

まず、1日6時間以上もパソコンでなにをやっているのか。


考えてみると、ほとんどインターネット。
WEB,MAIL,RSSで占められています。


Firefoxは無駄にタブが「後で見よう」と思って保存されています。
その数、数十から百を超えるときも。

メールは1日あたりプライベートで100通以上くる。
自分が送ったり返信したりするのは、週に数件。
送るのは携帯のメールの方が多いぐらいだ。

RSSは未読の場所ばかりだが、大量に登録している。
全部見ようと思ったら、1日あっても終わらないかも。
(実際、特定のサイトのRSSしか見ていない)


インプットとアウトプットで考える。

情報のインプットとアウトプットで考えると、
ほとんど、インプットだったのではないだろうか。

ということは、ほとんど生産性(アウトプット)のあることをほとんどしていないことになる。
たしかに、ここ数ヶ月の間パソコンで、なにかをつくったという成果はない。

ということは、どうせ使わないのだから、インプットを規制すればいいのである。


とあるIT企業でのよくある出来事

コンピュータやインターネットを使うことによって、
「情報」をデータ化してしまえば、複製が容易になった。


ふと、思い出したことを書く。


IT企業の現場で働いているときに、
メールはすべて閲覧しなければならないという強迫観念があったが、
どーにもこーにも、メールを見てる時間が長すぎて仕事ができなくなるという結末が見えた。


当時、10人から20人を超えるぐらいの人間が部下にいた。(部下の部下を含む)
上司であるがために、見なくても仕事に必要がないメールがCc:で送られてきていた。
というよりも、上司は部下の仕事上のメールが全部送られてくる状態だった。

その数、1日あたり3000通以上。スパムも入れると6000通を超えていた記憶がある。
スパムフィルターを導入して、99.82%スパムを排除した結果が3000通だったはず。


その後、Cc:のメールはほぼ見ないようになり、
要返信のメールは、To:で送るというルールを作ったことにより
1日あたりに目を通すべきメールは100通前後に落ち着いた。

その他のルールとしては、要閲覧のメール(返信不要)は、
Subject:に「返信不要」と記載するなどのルールを作り、フィルタリングした。


インプットされる情報(この場合、メール)を規制することによって、
本来の目的に集中できる環境になった。


この対策を実施する前は1日あたり全メールをチェックするには3時間を要していた日もあった。


情報過多

今、私はMacBookの画面を見て、キーボードを打って情報を脳へ(から)インプット(アウトプット)している。

脳とコンピュータのデータが画面と視覚を通さないで、
直接やりとりできるようになれば、話は別になるのかもしれない…。

だが、1人の人間がすべての情報(データ)を認識しようとするには、あまりに多すぎるのである。
情報過多の現象が起きている。


本来の目的に必要な情報規制をすることが必要である。


本来の目的とは?

仕事の場合は成果が求められているので、コンピュータを使う目的がハッキリしている。
その目的以外に不必要なインプットを規制すれば、アウトプットの比率が上がる可能性がある。

では、プライベートではどうだろうか。
なぜ、WEBやメールやRSSを見ているのか?

今となっては、その目的を覚えていない。
では、その覚えていないことに時間を費やす必要はあるのだろうか?
まぁ、覚えていないのだから費やす必要性は低いのであろうと推測される。


目的のない行動

私の家にはテレビがない。

それは、ダラダラとテレビを見ている時間が人生において無駄であると判断して、
昨年末に、買ってから3ヶ月もたっていない32インチの液晶テレビを売ってしまった。

おかげで今はダラダラと目的も無しになんとなくテレビを見ているという習慣はない。
というより、テレビがない。

携帯のワンセグ機能があるが、どうしても見たい番組が無い限り利用しない。


生活習慣の怖さ(ムダさ?)

私は子供の頃から家にいる時間(寝ている時間以外)は常にテレビがついている家庭で育った。
よって、昨年末にテレビを捨てるまでは、その生活習慣だったのである。

だが、冷静に考えれば、子供の頃から学校に通ってもいるし、
社会人になって、日中の働いているときはテレビなんて見ていない。


ということは、テレビを見なくても生きていけるはずである。


そう考えだしたのは家にテレビがないという人と出会ってからである。
悲しいことにこれは、つい数年前、社会人になってからである。


それまで、人はテレビを常に見ているものという自分の常識を疑いはじめたのである。
実際、テレビが家にないという人を「えぇ!?」と驚いたのは事実である。
ちょっとおかしいのではないかと、“少し”思ったこともあるくらいだ。


今となっては無駄にテレビを見ていた時は人生において、かなりの時間になるだろう。
これを何か目的を持ったことに時間を費やしていれば人生が大きく変わった可能性がある。


私に子供ができたときには、テレビを無駄に見る習慣はつけずに育てようと心底思う。

テレビがインターネットに変わっただけでは?

そんな多くの時間をムダにしてきたテレビを目的無しに見ている習慣は、テレビを捨てることによって解決した。
捨てるまでに多くの葛藤が自分の中であった。


だが、今は目的が無くパソコンに触れている習慣に代わっているだけである。

結論

“目的無くパソコンに触らないこと。”



なぜならば、インターネット世界は情報過多であり、目的無くその入り口を叩けば、
ナイアガラの滝のごとく情報が落ちてくる。


たとえば、その情報の1つに興味を持ってしまうと、果てしなく情報を追い続けてしまう。
この情報を追う作業に何か目的があればよいが、単なる興味であることが問題なのである。

情報を追うという作業が簡単になりすぎてしまっている。
まぁ、目的を持っていれば、それを便利というのだろう。


多趣味な私にとっては、興味を持ってしまう情報が多すぎるのである。
(多趣味じゃなくても、情報自体の母体数が多いと思うが…・)


習慣

習慣とは

習慣(しゅうかん)とは日常的に繰り返される行いのこと。また、その土地の文化にも影響する。後天的な行動様式であり、反復して行われる事で固定化される。身体的な振る舞いの他に、考え方など精神的、心理的な傾向をも含む。人の性行に影響する所が大きいため、「習慣は第二の天性なり」とも言われる。

習慣は基本的には個人の行動様式を指すが、ある集団に共有される様になった場合は「慣習」と呼ばれる。個人的な習慣と異なり、共同体的な慣習は集団内部の方向性と均質性を保つため、成員に対し慣習の遵守を求めるとともに、違反者に対し一種の制裁(嘲笑・非難など)が加えられることもある。

エミール・デュルケームによれば、習慣はそれが通用している間は、反省されることがない。習慣が廃れて初めて、反省されることになる。子供は習慣に固執し、暗示によって容易に他の習慣に乗り換えることから、子供のこの性質を道徳教育に応用できるとも考えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E6%85%A3

となっているが、簡単に私が解釈すると、
考えないで行動できるようになっている行動であろう。


つまり、私はあまり考えずにパソコンを使ってインターネットしているのである。



まぁ、考えて使うことは少ない。だが、情報過多により、すぐに考えるべき情報に出会う。
これを興味を持つと表現すればよいのだろうか。

この興味を持つという行動を目的にしてインターネットを毎日はじめている気がする。
それが、RSSリーダーだったり、検索エンジンだったり、
興味を追う作業や新たな興味を見つける作業を簡略化している仕組みである。

この「興味を持つ」という行動に中毒性があると思える。
私はそれを習慣としているのだろう。


田舎に住んでいて、小さな頃、テレホーダイは夢のような時間だった。
テレホーダイの時間を待ちわびた頃が懐かしい。

あの頃は“時間=インターネット料金”が成り立っていたので、
目的を持たずにインターネットの扉を叩くことは少なかった。

だが、それは日中だけの話で、テレホーダイタイムは目的を持たずにインターネットの世界に飛び立っていった。


それが、今は24時間の習慣になっているのだろう。


今、思うこと。

今日はこの記事を書くまでは、パソコンに1時間も触れていない。
おかげで英語の勉強が6時間もできているが、新しい問題集に手をつけはじめて「はぁ!?」の連続でほとんどの時間が辞書を引いている。


そして、この記事を書いていると気づいた。
最近の眼精疲労感やけだるさの原因がパソコンだということに。

この記事を書き始めるまでは、ドライアイ現象が起きていなかった。
今はその他に薄い疲労感がある。


テレビとはお別れできて、人生が何か変わるはずと思っていたが、パソコンに代わっただけ。
「(人生が)変わる(かわる)」が「(メディアが)代わる(かわる)」だったことに気づいてちょっとショックである。



これからでも遅くない。人生を変えよう。


インターネットというメディアに依存せずにあくまでもパソコンを道具(ツール)として使えるようになろう。



今日はうんちくだけになったけど、いくつか具体的かつ簡素なルールを作るべきなので、また後日。


同様の症状や習慣があって、今となっては改善された方などおりましたらコメント+アドバイスお願いします。
提案などありましたら、コメントしていただけると、体を張ってチャレンジしたいと思います。