ネタバレあり「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」見て感じたメッセージ性と今後のを想像して整理しているつもりでも、ちょっとしきれてない話。

そもそも、「新世紀エヴァンゲリオン」と「ヱヴァンゲリヲン新劇場版

このシリーズのアニメに関しては、テレ東で夕方にやっていた初回TV放送からを見ている。
TVシリーズは5回以上にわたって全話見ている。


そして、今日見てきて結論付いたこと。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は「新世紀エヴァンゲリオン」とは別物である。
そして、総監督を務める庵野秀明は、社会的メッセージを発信している様に感じた。


もう10年以上前になる初回のTVシリーズでは、夕方にテレ東が放送している小学生などがメインの視聴者でなるであろう時間帯に過激な暴力描写(エヴァンゲリオンによる使徒破壊や捕食)、性的描写(葛城ミサト加持リョウジ)、親子関係の破綻(碇ゲンドウ碇シンジ)、内向的な主人公(碇シンジ)、孤立的なヒロイン的な少女(綾波レイ)が描かれていた。あの時代から考えると、あの時間帯にTVで流して良いものだったのだろうかと今になって思う。
だが、それを小学生の立場として、ハラハラしながら見ていたのを覚えているし、あまりにも衝撃的すぎたのも現実だった。その結果、学校でエヴァンゲリオンの話をしたことはないし、話題にも上っていなかった。一度見ただけで、あの内容を理解できていなかったというのも原因としてあるだろう。


少なくとも、ポケットモンスターと比較すると笑ってしまう。
今だから私はエヴァンゲリオンを生で見られた世代で良かったと心から感じる。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序ではTVシリーズの一部をコンパクトにまとめた感じで、
CGが大量に使われており、新世紀エヴァンゲリオンを描き直した内容になっているだけだと感じた。
描き直しただけと書いてはいるが、アニメとしての作品の質や展開は、感動するほど描き直しただけの価値を感じた。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」について

エヴァンゲリオンシリーズは好きなのだが、そうマニアックでもなくアニメも好きだがほどほど。
だから、事前の前売りチケットや公開予定情報なんかも、世間よりあとから知る大人となった今。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破に関しても公開予定日すら正確に知らず、
auのニュースフラッシュで、今日はヱヴァンゲリヲン新劇場版:破の公開日って流れてはじめて知ったぐらいだ。


新劇場版シリーズは4部作と発表され、最初が「序」とされた段階で、
「序→破→急→滅」って感じかな。と勝手に解釈していた。
最後の滅ってのは前作シリーズがサードインパクトによって、すべて滅されたから。


毎月1日はファーストデイということで、1000円で映画が見られるから見てきた。


ここからネタバレありのオンパレードで書いていきます。

基本的な内容の解説はWikipediaで既に公開されているので、そちらを参照したほうがよろしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B1%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%B2%E3%83%B3%E6%96%B0%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88:%E7%A0%B4


まず映画として、エヴァンゲリオンとして、「あれ?」って思ったのがクラシックやオーケストラが流れてない。
てか、クラシック流れてた?全く記憶にない。
エヴァンゲリオンっていったら、クラシックやオーケストラをBGMにして衝撃的シーンを流すってのが私の中で定番。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破では、もう歌ものの曲が中心。
特に今回は、『今日の日はさようなら』と『翼をください』が映画を引き立てている。


このBGMの使い方が私が一番、新世紀エヴァンゲリオンヱヴァンゲリヲンの違いを感じる。


最初に北極のネルフ施設(ベタニアベース)から映画が始まるが、英語で会話されていて字幕で日本語が出てくる。
なんだか、カッコイイねぇ。てか、エヴァンゲリオンじゃないみたい。ってインパクト。
新キャラの真希波・マリ・イラストリアスに関しては、謎すぎ。
こいつ、今後の作品で何かしでかすだろう。
あと、加持リョウジが持ってきた「ネブカドネザルの鍵」ってなに?
ネブカドネザルってのは王族の名前なんだってことはわかったけど、何に今後関係してくるんだ?


式波・アスカ・ラングレーの登場も「名前」ちがうやん。と事前情報見てないから「えっ!?」って感じ。
しかも、大尉とかだし。なんで、階級設定ができてんだ…。とか思っていたら、
要するにエリートとしての表現をコンパクトにするためだったんだなぁあと解釈する。
TV版にあったような、アスカの幼少期の苦悩が多くは描かれていない。


だが、現代社会の家族という存在自体が壊れていたり、エリートが故に人間関係の構築がなかなかできなかったり、
人と話すことの重要性や気持ちというものを描いていることが現代社会に対してのメッセージに受け止められた。
それを、すばらしいものだと思い始め、アスカが他の人間と共存する価値を見いだそうというタイミングで、
4号機試験パイロットとして、残虐に初号機にやられてしまうのが今回のYou can (not) advance.のnotなのかね。
世界の人々がカウンセリングじゃないけど、人と話すことの重要性を重く改めて受け止めた。
そして、話を聞いてもらいたいチルドレンが多く社会にはいるということを大人は受け入れなければならない。


碇シンジは自分が意図しないダミープログラムを起動されることにより、
4号機試験パイロットとしてアスカが乗っていたエントリープラグを初号機が噛み砕いてしまう。
自分の力だけではどうにもならない、どうしようもできなくなる現代社会の部分を描き、
それに反発するように、ネルフ本部への反逆を試みる碇シンジが現代って感じを受けた。
中小企業の不当雇用や現場労働の不当や汚職への訴えのようにも受け取れたのである。
そして、シンジの完全ニート宣言と実施。


そんな中での第10使徒の出現。
ここで新キャラのマリに、今生きる若者の自分自身の面白さを前面に押し出して求めたキャラ作りに感じる。
好きなことだったら苦労もいとわずやってみせる。そんなシーンが「裏コード ビーストモード」に感じた。
何が何でも倒してやる。あたしのやりたいこと。戦いたいことだから。というメッセージ。
だからこそ、ネルフ本部との連絡も受け付けなかったのだろう。


レイが零号機でミサイル持参で自爆をしかけるときも、「シンジがエヴァに乗らなくてもよいために」
誰かのために何かをするという、尊さや愛しさの気持ちをレイというキャラが言葉ではなく描いている。
「好きだ」「愛してる」とか直接的ではないメッセージ。ぽかぽか。ぽかぽか。ぽかぽか。
今の子供達や世界の人には言葉ではなく伝えることの重要性を描いていると感じた。
親父の背中を見て育て。じゃないけど、綾波レイをみて、身の回りの人への気持ちの見方を改めさせられる。
もう、綾波レイって全然ちがうキャラだ。


そして、やっぱし、貧弱ヒーロー、シンジ、パイロット復活。
何度でもやり直しがきくんだよ。やってみるべきなんだよと言わんばかり。
そして、初号機めったうちにされるー。で、暴走?覚醒?「綾波を返せ!」


その初号機が暴走?覚醒?したシーンで、ミサトが「いきなさい」と言い切る。
これは、「生きなさい」「活きなさい」「行きなさい」とも受け取れる。


私は「活きなさい」と受け止めた。死ぬかもしれない。人間に戻れないかもしれない。
でも、父親への希望を失ったシンジが再び立ち上がって、綾波レイという少女に対して、
自分の意志をハッキリと向けた瞬間なのである。


暴走、覚醒してしまうことにより人間には戻れないかもしれない。死ぬかもしれない。
碇ゲンドウが言うように、目的を達成するために犠牲を払い、自分の力で成し遂げるのが大人だと。
葛城ミサトはシンジへ、「活きろ」自分の思ったことに精一杯活きろ。
それが、綾波レイを助けることなら「行きなさい」あなたの意志でその瞬間を「活きなさい」。
そんな、人間くさすぎる葛城ミサトが大好きだ。
昔の男に引きずられたり、無理したり、あえてシンジとアスカ個人的にを受け止めたり。
父親への思いをシンジに移してしまったり。それを伝えてしまったり。



ここでも、エヴァンゲリオンヱヴァンゲリヲンの違いだが、
きちんと、リツコがいろいろと説明しているんだよね。


エヴァンゲリオンだとクラシックとオーケストラで衝撃的、
意味難解シーンではぁ!?って想像や仮説をかき立てられる。


ヱヴァンゲリヲンだとリツコやミサトの解説じみた会話によって、
難解ではあるが、わかりやすいメッセージを表している。


で、綾波レイは死なず、シンジが助ける。
このシリーズではじめてシンジが断言的な言葉を発するのである。


「こっちに来い、綾波


庵野秀明がやはり、強いメッセージがあるように感じる。



でー、神っぽいそんざいになって、シンジとレイの共存して活きようという世の中をサードインパクトで実現するのかなぁって展開が始まろうとしたところで、ロンギヌスの槍っぽいのでぐっさり。カヲルさま登場。今度は…。


エヴァンゲリオンは暴走という特有の概念が存在したが、その概念を超越してのことなのか、神に近い存在、もしくは神そのものを作り出そうとしていることを「初号機の覚醒」と碇ゲンドウは指しているのではないだろうか。


ネルフは神そのものを創造し、リリン以外の存在を否定することを計画しているのではないだろうか。




この辺の宗教的な話はあまり詳しくは無いが、前作シリーズで人間は18番目の使徒であると葛城ミサトが語る。


白き月と呼ばれる卵(隕石?)が地球にぶつかったこと。
その卵から生まれたのがアダム。アダムは生命の実を食べていたので、知恵を持たないものを生み出すことができる。
この生命体をコアとS2機関を持つ、エヴァンゲリオンでいう使徒



ファーストインパクトが黒き月と呼ばれる卵がぶつかったこと。
これにより、アダムが生み出していた生命が眠りにつくことになる。
この黒き月がリリスであり、リリスは知恵を持つ生命を生み出すことができる。
これが第18番目の使徒とされている人間。
ゼーレはネルフリリスを保管させていたが、それはアダムだと偽の情報を流していた。
これがセントラルドグマにある十字架に貼り付けられているやつである。


アダムから魂を取り出したのがカオル。
リリスから魂を取り出したのがレイ。


宗教上、アダムとリリスが最初の人間であり、アダムの妻がリリス
やがて、リリスはアダムの元を離れ、ルシフェルと子供を作る。
これが、リリン(悪魔)。これを18番目の使徒=人間。

リリスが離れたアダムを気遣い、アダムの肋骨からイヴという女性をつくりだす。
イブとはEVAとかき、エヴァとも読む。エヴァンゲリオンという名前はここからきているのだろう。


零号機と初号機はリリスから作ったもの。(セントラルドグマに十字架に貼り付けられているやつ)
二号機以降がアダムを元にして作られたもの。
アダムはセカンドインパクトの際の巨人であり、それは保管されていた。
それを物質化したものが「ネブカドネザルの鍵(加持リョウジが持ち帰ったもの)」だろうか。


アダムから生まれていたものが、エヴァンゲリオンシリーズの敵でとなっている使徒とされており、
セントラルドグマにいるアダムへの接触を図り、サードインパクトを起こしてリリム(悪魔)の排除をしようとしているのが大筋の流れなのだろう。(知恵の実を食べた人間が生命の実を食べることを恐れ、滅ぼそうとしたってこと?)


カオルだって、前作シリーズ劇場版ではアダムとの接触を図ろうとしたら、
セントラルドグマにはリリスがいて、アダムが居ないことを知ると生きる意味を無くして、シンジに殺されることを選ぶ。


たしか、前作シリーズの映画ではレイがこのアダムを体内に取り込み、リリスと融合して、サードインパクトを起こす。
結局、リリン(悪魔)壊滅の道を選ぶことになる。無に返すと表現した方が良いのだろうか。


こういう流れのはず立ったのだが、今回のヱヴァンゲリヲンでは初号機がもう神になろうとしている。
使徒綾波レイの存在そのものを自らの意志で創造・破壊できる力を持ってしまった。
これって、人間だけが生き残るということを実現できる方法でもある。
なおかつ、ゼーレのシナリオではなく、ネルフとしてシンジ達チルドレンによる力で、
新しい世界を創造していけるというシナリオになる。


年取ったおっさんどもが何もせずに、自分たちだけ都合の良いように生き残ろうと計画するゼーレのシナリオとは違う。
希望や新生代の考えに道が新世界を創造する力を得るという事だ。


今後の勝手な想像だが、「序→破→Q→愛」の様な美しい展開や希望を持たせる結果を作り出すんじゃないだろうか。
ぜひ、不況にあえいでいる悲しい社会に希望というサードインパクトのシナリオを期待する。


あと波についてと今後のシナリオの想像

綾波・式波・真希波とヒロインキャラ達の名前は軍艦の名前から由来していると言うが、
勝手に想像を膨らませてもらうと、ヱヴァンゲリヲンでは赤い海が登場している。


ヱヴァンゲリヲン:破にて、赤い海には生命は存在せず、青い海を科学的に復元しようとし、
生命の尊さを問うようなシーンが描かれている。それをチルドレン達に教えているのである。


綾波ってのが、生命創造の交わり在った綾だとして、
式波っってのが、その綾を支え、後継するものだったとして、
真希波ってのが、真の希望の波なんじゃないか!っと。
シンジのウォークマンが27トラック目にいったのはそういうことなんじゃないかと。
(ずっと、25と26のリピートだけだったんだ。TV版25話26話ってことだろうが)


勝手に想像する。きっと最後はマリと加持リョウジがなんかやるぞ。
で、意外とカヲルはバッサリやられるんじゃないか。
特に使徒に浸食された肉体であるアスカがカヲルと新たな接点を見いだす可能性が高い。
とりあえず、アスカが生きてるわけだから、エヴァ3体に対してチルドレン4人はおかしい。
アスカはチルドレンとしてではなく、他の可能性として働くんじゃないか。
でも、エヴァ自体が初号機以外壊滅しているわけだから、関係ないかも。


だが、次回予告を見る限り、アスカがアイパッチをして復活しているのだから、
アスカが回復するだけの時間があると言うことはエヴァを復元する時間もあるのかもしれん。


ヱヴァンゲリヲン:Qではカヲルがすでに登場してるから、
その次ではエヴァが存在しない、サードインパクトが終わった世界を描くのかもしれない。
その世界の一部にアスカがアイパッチをしているのかも。


次回作、楽しみすぎる。


そして、毎回このストーリーとか関係とか思い出すのに前のを見たり、
考え直したりするの疲れる。


※宗教とか設定とか、情報が正確でない可能性もあります。
 個人的解釈も含んでますので、みなさんご注意を。


そして、宮崎作品のような強いメッセージ性を感じてきた。


もう一度、ヱヴァンゲリヲン見てよかった。ありがとう。