もう、バカだとか死ねだとか。ホント嫌になる。

 BlogとかSNSとかメールとかで、

直接人を見下した発言をしている事が嫌になる。
言った本人が非難され被害を受け、偏見を受けるのは勝手だ。
それを見た人間が嫌な気持ちになるということも知った方が良い。
できる限り、見ないようにしているが、あまりにも気軽にこういった言葉を使う人が多い気がする。
 
 
この人は本当に相手を目の前にして、目を見て同じ発言ができるのだろうか。
あなたはいったい、相手の何を知っているというのだろうか。
結果だけを比較して、バカだの死ねだの判断できるほど、
なにもかも完璧にできるのが人間ではないということを知っているのだろうか。
 
 
子供がふざけて、死ねとかバカとかいっているのはわかるよ。
それは、言葉の重みや責任が自分にくることを保護されているからわからないんだ。
 
 
もう、大人になったら自分の発言は自分で責任を取るという事が、
社会で当たり前のように思われていることを理解した方が良い。
 
 
そんな簡単なことを気づかずに身近にいれば、気づかせてあげたい。
だけど、それは相当な労力を要することであり、
私の原則では、人は人を変えることはできないので不可能だ。
 
 
人は自ら変わることのみできるのである。
だから、何らかのきっかけだけしかあげられないのだ。




私は、はじめて人の上に立ったとき、将来私に会えて良かったと思える人間になろう。
「あなたがいたから、今の私がいます。」とそれぐらい貢献できる人間になろう。
そういう人としてのことを教え、尊敬される人間になり自分自身を見つめ直そうと心に誓ったことを思い出した。


今は、生きることの意味の1つに変わってきているのかもしれない。